ドッグショー喜怒哀楽「吾は褐寛博なりや?」 サイト・コンセプト
吾嘗て大勇を夫子に聞けり。
「 自ら反りみて縮からずんば、褐寛博といえども、吾惴れざらんや。
自ら反りみて縮かれば、千万人といえども、吾往かん。 」
(訳)私は昔、大勇とは何かを孔子様に伺ったことがある。
孔子様がおっしゃるには、
「 自らを省みて、正しくないとわかれば、たとえ
相手がとるにたらないものでも私は恐れる。
しかし自らを省みて、正しいと思うのであれば、
私は千万の敵であろうと恐れることはない。 」
※「縮」・・・・・義理にあう、正しい
「褐寛博」・・・毛織のダラダラの衣服のことで、転じて貧しい人、
身分の低い人、取るに足らない人のことを指す。
これは、幕末の要人、松平春嶽が座右の銘としていた事で
有名な、孟子に与えた孔子の教えである。
受け取り方は人それぞれであろうが、
私はこの言葉に接したときに
心の曇りが全て晴れた気がした。
自らを省みるとは、道義であり知識であり修練である。
自分自身の成長の上にこそ大勇は成り立つであろう。
自らを褐寛博として蔑むのでもなく
大群の将として褐寛博を蔑むのでもない。
全ては自らの中にある。自分の目指す道を自らが正しく見極めて
進む事が大勇なのである。そこには恐れなど無縁なのだ。
ジャッジという役割を担うなか、何かできることはないかと常々考えています。
ドッグショーにおいて勝敗を決めるのはジャッジです。その責任は本来犬種の趨勢
に大きく影響するでしょう。現状を見てみれば、犬種向上とはなかなか言い難い
結果も数多く見られます。
ドッグショーを毛嫌いする一般愛犬家も数多くいます。現状から見て当然でしょう。
しかし、その一般愛犬家ですら、商用繁殖と販売業者の犠牲者になっているのです。
場合によっては無意識に加害者になっていることもあるでしょう。
呆れるばかりに無知な、ブリーダー。
勝敗しか目に入らない、ハンドラー。
私腹と利権に振り回される、ジャッジ。
欠陥商品を平気で販売する、業者。
さらには、生き物とヒトの見境がつかなくなった愛護論者。
そんな、罵声ばかりが目立つ犬界に身を置いている事が悲しくて仕方が無いのです。
お互いがお互いを蔑すんで、いったいなにが残るのでしょうか?
「犬を飼う人のための十戒」というものをご存じの方は数多くいらっしゃるでしょう。
この素晴らしい「人と犬の関係」も値する犬がいて初めて成り立つのです。
スタンダードとは標準であったはずなのに、
規格外(粗悪品)
をペット用と考えるのが当たり前の風潮です。
挙げ句の果てはMIX犬・・・
求める側も供給する側も、
ただ、色や大きさに拘ったり、
ショーで映えるだけの犬を目指したり。
これは、間違っていませんか?
犬に携わる人々が襟を正し個々に向上しなければ、素晴らしいはずの「人と犬の関係」
もお互いにとって苦痛に変わってしまいます。
求める側も供給する側ももっと犬のことを知らねばなりません。
そのために、ドッグショーはあるべきでしょう。決して勝敗のみを求めているのでは
ありません。犬種の向上をめざして誰もが安心の出来る「人と犬の関係」を続ける
ためにあるのです。
このサイトは、そんな志のもとに成り立っています。
私の記事へのコメントや、BBSの話題において、みなさんに忌憚なく意見や疑問を
話していただく事。
それが私自身の成長に繋がり、さらなる向上を目指す事が出来るのではないかと
考えています。
幕末動乱の折、各藩が薩長か徳川かどちらにつくか右往左往する中で
徳川方の仲介役であった春嶽は、こう言ったと聞きます。
「右でも左でもなく前に進む」
正しく新しい日本国を求める気持ちが何よりも強かったからでしょう。
このサイトに興味をもって下さった方々が、自らを省みて前に進む事を願っています。
それが、この国での「人と犬の関係」を、正しい姿へと変えていくことになるだろうと
私は信じているのです。
Master@Freewind
JKC審査員
川島 正己
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これをはじめに書いたのはおそらく2003年頃だと思う。
途中で1回改訂してるかもしれないが
ま、今も変わらないということ
自らがこれからも前に進むためにもページとして引き継いでおくことにする。
いまだからこそそうしたい・・・